説明
奏者の誰もが全身全霊で弓を動かし、管を吹き、打楽器を打ち鳴らしていた。音のひとつひとつが生命力をもつと同時に、ほかのすべての音と一体になっていた。
自己陶酔している表情を見せる指揮姿の表紙。どんなにロマンティックかとレコード針が盤面をトレースすると、いきなり金管が超弩級のファンファーレで迫る。期待したチャイコフスキーのロマンティックは消し飛んでしまう。カラヤンはチャイコフスキーの3大バレエ組曲だけでなく、数多くの舞台音楽も録音しているが、どれもシンフォニックで合奏が完璧な生きたサウンドをオーケストラに求めている。
カラヤンが何度も演奏会で取り上げ、世界一のオーケストラで繰り返し録音しているチャイコフスキーの後期交響曲です。1977年のステレオ録音。この後もカラヤンの再録音は止まらず、ウィーン・フィルと2種類の映像と録音を残していますが、交響曲第4番に関しては、この演奏を超えることができなかったように思います。近代オーケストラの魅力を満喫できる第1楽章冒頭は鳥肌モノ。金管が強く出ている。それをコントラバスの低音域が、しっかりと支えており、カラヤンらしく、音楽がよどみなく、流れるように紡がれている。とにかくダイナミックスの幅が広く鮮やかで迫力満点。ベルリン・フィルの総合力の良さが分かる。
機能性あるベルリン・フィルから、美しさと華やかさを引き出した仕上がりとなっている。
ベルリン・フィルのチャイコフスキー演奏は、オーケストラの創成期にさかのぼります。
カラヤンとチャイコフスキーは相性が合う。カラヤンは、1929年1月に20歳でプロの指揮者としてデビューした時に、交響曲第5番を指揮しています。初めての《悲愴》は、その4年後に、ウルムで振りました。その演奏会の後、彼は両親に「終演後、聴衆は10秒間打ちのめされたようにただ座っていました。そして直後にサッカー場のようなブラボーが起こったのです」と興奮した様子がわかる。ベルリン・フィルとの最初のチャイコフスキーは、1939年の《悲愴》の録音で、これは彼がベルリン・フィルにデビューした1年後のことでした。数ヶ月違いで録音したフルトヴェングラーがレコーディングに一ヶ月もかかる手こずっていたことに対して、カラヤンはただ一回の演奏でレコードを仕上げてしまった。それが悔しかったようだ。フルトヴェングラーは『音楽と言葉』の第6章『音楽と生命力』で、『レコード向きの演奏がコンサートホールに持ち込まれるようになった結果、音楽にヴィタミンが欠如するようになってしまった』と持論を展開している。しかし、今読むと陳腐で、カラヤンにレコーディングの才能を見てしまった、ドイツ楽壇に君臨する自分が持ち得ない技術を30歳も若い新人が持っていることへの、やっかみだなと気付かされて読んでいると人間味を感じてフルトヴェングラーが可愛く思えてしまう。残念だけど、このフルトヴェングラー著作集『音楽と言葉』を今探してみたが見つからなかった。熊本地震の折に他の資料と一緒に失ってしまったようだ。
閑話休題。
これはカラヤンにとって新たな時代を迎える輝かしい凱歌だったのか。それとも旧き時代への華麗なる挽歌だったのか。
カラヤンはチャイコフスキーの交響曲第4番をベルリン・フィルと4回録音しましたが、このアルバムには1976年の4回目の演奏を収録しています。情熱的で変化に富んだこの作品でカラヤンは手兵であるオーケストラの卓越した能力を十二分に発揮させて、劇的で圧倒的な演奏を繰り広げています。音を徹底的に磨き上げることによって聴衆に陶酔感をもたらせ、さらにはダイナミズムと洗練さを同時に追求するスタイルでカラヤンの個性が濃厚で面白い。カラヤンのチャイコフスキー(に限らないかも知れないが)には一定の「節度」を感じる。メランコリーはあるが、それにのめり込まずメロディの美しさが強調される。劇的な表現でも「激烈」にはならず、オーケストラのバランスは崩れない。全体が調和とともに最大のボルテージに達する。チャイコフスキーは聴かせどころ満載で、両者の交互の相克はスリリングである。そのリアリストがチャイコフスキーと1976年12月、ベルリン・フィルハーモニー録音。
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